T14-3 無罪を自覚する決意


あなたは神が注目するような罪を犯すこともできなければ、称賛に値する行為をすることもできない。
この基本的知識の光は、エゴの幻想の暗闇によって覆い隠され、それゆえ、個人は罪と善行という観点で考えるのである。

クリシュナ_1214120222

バガヴァッド・ギータ― 5:15



諸君よ、諸君はただ現象に囚われて外見のみをもって人々を誤解してはならないのである。吾々は、現象を超え、五官の眼をもって人の欠点や性癖や失策等を見ることをやめ、その人の中に宿るところの「神」を見なければならないのである。もし吾々が「神」をすべての人に見ることができ、いかなる卑しき人の間にも愛深き神を見出し、いかなる臆病者の中にも勇敢無比なる神を見出し、いかなる放蕩の夫のうちにも、貞節自愛の神を見出し、いかなる不良の子供の中にも善良優秀なる神を見出すことができるならば、たちまちこの世界は地上天国と変貌してしまうのである。
多くの人々は五官の眼に囚われて実相を見る目を盲目ならしめ、利益の駆け引きのみに心を使って人を倒して自分だけが勝利を得ようとしているものであるから、自分もまた人から押し倒されて不幸を見るよりほかないようになっているのである。
吾々の人格の高さは、人の悪を見る目の鋭さによって得られるのではないのである。悪を見る代わりに善を見、冷酷を見る代わりに愛情を見、虚偽を見る代わりに真実を見、利己を見る代わりに愛他を見、全人類を見るのにすべて「神の子」であって完全円満であると見うる程度に従って、吾々の人格はそれだけ高くなっているのである。



谷口雅春(「青年の書」50ページ)



古代ギリシャに、大金を払って自分のことを侮辱してもらう男がいました。毎日のように侮辱されながらつきまとわれていたその男は、とうとう侮辱されてもなんとも思わなくなりました。
あなたを苦しめた人から、その人が提供したサービスについて、請求書が送られてこないことに感謝してもいいくらいです!

誰であれ、私たちを助けてくれます。やさしくすることで助けてくれる人もいれば、意地悪に振る舞うことで助けてくれる人もいます。
相手が何をしようとも、私たちはやさしさを選べるのです。
精神的な成長のため、あなたは相手と魂の契約を交わしています。その人はあなたの大切な友達です。あなたが自分の力を取り戻すのを助けるために、悪役の衣裳を身につけることを引き受けてくれたのですから。
もっともいやな役を演じるのはもっとも優秀な役者たちです。
講演が終わって衣裳を脱げば、舞台の上で演じていた役割とは大違いのとてもいい人たちです。
舞台上での彼らの演技については気にする必要はありません。
それよりも、公演後に楽屋で一緒にワインでも飲みながら、その日の舞台について大笑いすることです。圧倒的な演技力で悪役を演じている、彼らの本当の友情とサポートに気づいてください。
苦しみを他人のせいにしても、得られるものは何もありません。あなたが何かを得られるのは、相手がしてくれたことを受け入れたときだけです。

アラン・コーエン (1) (1)_0408022647 (1)

Alan Cohen, A Course in Miracles Made Easy: Mastering the Journey from Fear to Love (English Edition) A Course in Miracles Made Easy: Mastering the Journey from Fear to Love
アラン・コーエン今まででいちばんやさしい「奇跡のコース」143ページ)




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今回はテキスト第十四章から「無罪を自覚する決意」という一節をご紹介します。


自分を傷つけた人に思い知らせてやりたいという感情

「Death seems an easy price, if they can say, "Behold me, brother, at your hand I die."
 病人には、もし自分が一言、『兄弟よ、私を見よ。お前の手にかかって私は死ぬのだ』とさえ言えたなら、死ぬことすら安い代償のように思えます。

 For sickness is the witness to his guilt, and death would prove his errors must be sins.
 というのは、病気はその兄弟が有罪である証拠であり、死がその兄弟の誤りが罪に違いないと証明してくれるからです。」(T27-1 磔刑の絵、4.)


私たちは、誰かによって傷つけられたと思うと、その人に自分の罪深さを思い知らせることさえできるなら、どんな代償でも支払ってでもかまわないと思い、相手に罪悪感を抱かせようと、自分自身を相手の罪を示す生き証人にしてまで自分が傷つけられたことを思い知らせてやろうとしてしまいます。

7つの習慣で、敵中心のパラダイムの例として紹介されているエピソードで、離婚の際に妻に対する敵対心に心を奪われた夫は、高額な資産すべてを二束三文で売却して財産分与で妻に渡す財産価値を減損させて、自分も一緒に資産価値を失うというダメージを被ってまで敵を貶めようとしたケースが出てきますが、実際の裁判等の法的紛争が生じる背景として、この心情が大きく作用することがあるのは事実でしょう。

相手を敵とみなすパラダイムに立つかぎり、敵を攻撃できるなら、自爆テロ的に自分を犠牲にすることすら価値があることになるもので、私たちも、人情として自分たちがこのような感情に駆られることを理解できます。





自爆テロにつながる勘違い

けれど、私たちのことを思って心を鬼にして憎まれ役を買って出て私たちの成長に一役買ってくれた自分の恩人を呪って攻撃することが大きな勘違いであるように、そして、物語で悪役が悪さをすることで主人公が成長し、より大いなる益を得ることに貢献するように、私たちが自分を苦しませた敵で罪を思い知らせてやらねば我慢ならん!と憤っている相手は、自覚のあるなしに関わらず、実は私たちの必要に答えて応援し選択の機会を与えるるために登場する登場人物であり、救い主であるというのが本当のところなのでしょう。

それなのに、私たちは、エゴの策略にハマって、「T28-6 秘密の誓約」に縛られて、相手を非難・攻撃してしまっているわけです。

そうだとしたら、私たちは、自分の救い主を攻撃するという大きな勘違いをしているということになります。

7.「Teach him that, whatever he may try to do to you, your perfect freedom from the belief that you can be harmed shows him that he is guiltless.
 みんなに次のように教えてください。すなわち、たとえ兄弟があなたに何をしようとしたところで、あなたが自分が傷つきうるとは微塵も信じない自由な境地にいることによって、その兄弟に彼は罪を犯してはおらず無罪なのだと示すのです。

 He can do nothing that can hurt you, and by refusing to allow him to think he can, you teach him that the Atonement, which you have accepted for yourself, is also his.
 彼には、あなたを傷つけうるようなことは何もできません。そして、彼があなたを傷つけることができると思うことを断固として容認しないことによって、あなたは自分が受け入れた贖罪が彼のものでもあると彼に教えることになります。」


8. 「Teach no one he has hurt you, for if you do, you teach yourself that what is not of God has power over you.
 誰にも、その人があなたを傷つけたことを思い知らせようとなどしてはなりません。なぜなら、もしあなたがそんなことをすれば、あなたは神に由来しないものが自分に影響を及ぼす力を持っていると自分自身に教えることになってしまうからです。」


返すべき正しいリアクションは違ったものになるはず

もし冒頭でアラン・コーエンさんが教えてくれているように、本当はその「敵」は魂の盟約の下に私たちを助ける悪役を演じてくれているのだとしたら、彼に罪を着せて自分の被害を思い知らせ、はてはともに破滅しようとするのは悪魔の誘惑に屈して、相手と自分をともに地獄に縛り付けることになるでしょう。

本当に返すべきリアクションは、7.の相手のどんな非難や攻撃によっても自分はまったく傷ついていないことを示して相手に自分は無罪だと気づかせて罪悪感を抱かせないようにすることだということです。


聖霊の3大レッスン

この教えは、他者の攻撃を助けを求める哀訴と捉えて反撃ではなく愛をもって報いるべきだ、自分を怒らせる他者は自分を解放するチャンスを与えてくれる救い主だ、というものに匹敵する重要なものだと思います。

この3大レッスンは密接に関連しており、次のような関係性でまとめることができます。


他者からの攻撃

   ↑自分を傷つけられたとして怒りをもって反撃したくなる

   しかし
自他分離は錯覚で自他の本質は攻撃によって傷つくことのない神の子だ

   ↓そうだとすれば

他者からの攻撃の本質は分離幻想によて歪んだ愛と助けを求める神の子の哀訴だ

不平不満を抱いて攻撃し返して相手に思い知らせて罪悪感を抱かせようという欲求は錯覚だ

   ↓
攻撃によって自他を幽閉するか感謝によって自他を解放するかの機会なのだ
   ↓つまり
自分を怒らせる他者はエゴの生み出す錯覚から自分を解放するチャンスを与えてくれる救い主だ
   ↓そうであるなら

救い主には不平不満を抱くのではなく感謝するのが当然だ

   ↓救い主に報いるためには

自分が非難や攻撃によって少しも傷ついていないことを示して罪悪感を抱かせず

他者の攻撃を助けを求める哀訴と正しく捉えて反撃ではなく愛をもって助けることで報いるべきだ


アルン・ガンジーの言葉

スティーブン・R.コヴィー先生が完訳 第8の習慣(310ページ)で紹介してくださっているマハトマ・ガンジーのお孫さんの言葉です。



Stephen R. Covey
スティーブン・R.コヴィー

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皮肉なことですが、人種差別と偏見がなかったなら、ガンディーはこれほどまで注目されていなかったでしょう。それは挑戦であり、対立でした。祖父は大金を稼ぐ有能な弁護士の一人で終わっていたかもしれません。

しかし南アフリカに渡ったとき、到着してから一週間も経たずに、かの国の人種差別を受け、屈辱を味わいます。有色人種という理由で列車から降ろされたのです。あまりの屈辱に駅のプラットフォームで一晩過ごし、正義を勝ち取るために何ができるかと考えていたそうです。祖父の最初の反応は怒りでした。あまりにも腹が立ち、「目には目を」の正義を望んだのです。自分を侮辱した人々に暴力で仕返ししたかった。

しかしそこではたと気づいたのです。「これは正しいことではない。このやり方では正義を勝ち取ることはできない。しばらくは溜飲の下がる思いがするかもしれないが、正義は得られない。対立のサイクルが続くだけだ」と。

その次の反応は、インドに戻り、故郷の人々と尊厳を持って生きていきたいというものでした。しかし祖父は、その反応も退けました。「問題から逃げることはできない。逃げずに、問題を直視しなければならない」と祖父は言いました。

そのときに第三の反応を思いついたそうです。非暴力の運動です。それ以降、祖父は南アフリカで正義を追求するのと並行して、非暴力の思想を確立し、実践しました。結局、祖父は南アフリカに二二年間暮らしてからインドに帰国し、非暴力不服従運動を率いたのです。

ーーーー
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テキスト第十四章

III. The Decision for Guiltlessness
三 無罪を自覚する決意



1. The happy learner cannot feel guilty about learning.
 喜んで学ぶ者が、学ぶことに罪の意識を覚えるはずがありません。

 This is so essential to learning that it should never be forgotten.
 罪悪感を持たずに学ぶことは本当に学びにとって本質的なことなので、絶対にこのことを忘れてはなりません。

 The guiltless learner learns easily because his thoughts are free.
 罪悪感を持たずに学ぶ者の思考は自由なので、罪悪感のない学び手は易々と学ぶことができます。

 Yet this entails the recognition that guilt is interference, not salvation, and serves no useful function at all.
 ただし、このように罪悪感なく自由な思考で学ぶためには、罪悪感は救いにならないどころか障害となるばかりで、まったく何の役にも立たないものだと認識する必要があります。



2. Perhaps you are accustomed to using guiltlessness merely to offset the pain of guilt, and do not look upon it as having value in itself.
 たぶんあなたは、自分が無罪だと自覚することを、単に罪悪感から生じる苦痛を打ち消すためにだけ用いることには馴染んではいても、無罪を自覚して罪悪感を持たないことそれ自体に価値があるとみなしてはいないはずです。

 You believe that guilt and guiltlessness are both of value, each representing an escape from what the other does not offer you.
 あなたは、有罪という概念と無罪という概念の両方ともに価値があると信じています。それは、有罪と無罪のそれぞれが相互に、他方があなたに差し出すことができない不都合を回避する働きを提供できるように思えるからです。

 You do not want either alone, for without both you do not see yourself as whole and therefore happy.
 あなたが有罪と無罪のどちらか一方だけを望むことはありません。というのも、あなたは両方がなければ自分を完全だとみなすことができず、したがって、自分が幸せだとは思えないからです。

 Yet you are whole only in your guiltlessness, and only in your guiltlessness can you be happy.
 しかし、あなたが完全であるのはあなたが無罪のときだけであり、あなたが幸せでいられるのはあなたが自分の無罪を自覚して罪悪感を抱かずにいるときだけです。

 There is no conflict here.
 無罪を自覚して罪悪感のない心境には、何ひとつ葛藤がありません。

 To wish for guilt in any way, in any form, will lose appreciation of the value of your guiltlessness, and push it from your sight.
 いかなる方法や形であれ、罪悪感を持ちたいという欲求は、あなたが無罪を自覚する心境にあることの真価を正しく認識できなくさせてしまい、あなたの視界から自らの無罪性を追いやって見えなくしてしまいます。

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3. There is no compromise that you can make with guilt, and escape the pain that only guiltlessness allays.
 あなたが少しでも罪悪感と妥協するなら、あなたは無罪の自覚だけが和らげることができる苦痛から逃れることはできません。

 Learning is living here, as creating is being in Heaven.
 創造することが天国に実在することであるように、学習することはこの世界に生きることです。

 Whenever the pain of guilt seems to attract you, remember that if you yield to it, you are deciding against your happiness, and will not learn how to be happy.
 あなたが罪悪感の痛みに心惹かれるように思うときは、必ず次のことを思い出してください。それは、もしあなたが罪悪感の痛みの魅力に屈するなら、あなたは自分の幸せに背く決断をしているのであり、幸せになる方法を学べなくなってしまうということです。

 Say therefore, to yourself, gently, but with the conviction born of the Love of God and of his Son:
 それゆえに、あなた自身に優しく、それでいて、神と神の子の大いなる愛から生まれる確信をもって次のように言いなさい。


What I experience I will make manifest.
私は自分の経験することを顕現することになる。

If I am guiltless, I have nothing to fear.
もし私が無罪を自覚する心境にあるなら、私には恐れることなど何もない。

I choose to testify to my acceptance of the Atonement, not to its rejection.
私は、自分が贖罪を拒絶したことではなく、自分が贖罪を受け入れたことを証言することを選ぶ。

I would accept my guiltlessness by making it manifest and sharing it.
私は、無罪であることを顕現し共有することによって、自分が無罪であるという自覚を受け入れることにする。

Let me bring peace to God's Son from his Father.
私が神の子の許に、その大いなる父からの平安をもたらすことができますように。



4. Each day, each hour and minute, even each second, you are deciding between the crucifixion and the resurrection; between the ego and the Holy Spirit.
 毎日、一時間ごと、そして一分ごと、一秒ごとにさえ、あなたは磔刑と復活の間で決断しているのです。それはエゴと聖霊のどちらを選ぶのかという決断です。

 The ego is the choice for guilt; the Holy Spirit the choice for guiltlessness.
 エゴを選ぶことは罪を意識する選択です。聖霊を選ぶことは無罪を自覚する選択です。

 The power of decision is all that is yours.
 あなたが持っているのは、この決断力だけです。

 What you can decide between is fixed, because there are no alternatives except truth and illusion.
 あなたに選べる選択肢は、ふたつに固定されています。なぜなら、真理と幻想以外に選べるものなど何もないからです。

 And there is no overlap between them, because they are opposites which cannot be reconciled and cannot both be true.
 そして、真理と幻想の間には、重なり合う部分は一切ありません。なぜなら、真理と幻想は対極にあり、両者を調和させることはできないし、両者がともに真実であることもありえないからです。

 You are guilty or guiltless, bound or free, unhappy or happy.
 あなたは有罪か無罪か、束縛されているか自由か、不幸か幸福か、そのいずれかです。

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5. The miracle teaches you that you have chosen guiltlessness, freedom and joy.
 奇跡は、あなたが無罪を自覚して、自由と喜びを選んだことをあなたに教えてくれます。

 It is not a cause, but an effect.
 奇跡は原因ではなく結果だからです。

 It is the natural result of choosing right, attesting to your happiness that comes from choosing to be free of guilt.
 奇跡は正しく選択したことの当然の帰結です。奇跡は、罪悪感から解放される選択をしたことから来るあなたの幸福の証明なのです。

 Everyone you offer healing to returns it.
 あなたが癒しを差し延べるすべての人たちが、あなたに癒しを返してくれます。

 Everyone you attack keeps it and cherishes it by holding it against you.
 あなたが攻撃するすべての人たちは、あなたからの攻撃を忘れず、仕返しにあなたを攻撃してやろうという思いを保つことによって、あなたへの攻撃を胸に秘めることになります。

 Whether he does this or does it not will make no difference; you will think he does.
 その人が実際に復讐するかしないかは何の違いも生みません。いずれにせよ、あなたは彼に仕返しに攻撃されると思うはずだからです。

 It is impossible to offer what you do not want without this penalty.
 このような自己処罰なくして、自分が望まないことを他者に差し出すのは不可能です。

 The cost of giving is receiving.
 与えることの対価は受け取ることだからです。

 Either it is a penalty from which you suffer, or the happy purchase of a treasure to hold dear.
 あなたが自分の差し出すものの対価として受け取るのは、あなたが苦しむ処罰か、あなたが大切にする宝物の喜ばしい獲得か、その二つに一つです。



6. No penalty is ever asked of God's Son except by himself and of himself.
 神の子が自分で自分自身に求めないかぎり、決してどんな処罰も神の子に求められることはありえません。

 Every chance given him to heal is another opportunity to replace darkness with light and fear with love.
 神の子に与えられる一つひとつの癒しの機会は、闇を光に変え、恐怖を愛に置き換えるための新たな好機なのです。

 If he refuses it he binds himself to darkness, because he did not choose to free his brother and enter light with him.
 もし彼が他者を癒すことを拒否すれば、彼は自分自身を闇に縛りつけることになります。なぜなら、彼は自分の兄弟を解放してその兄弟と一緒に光の中に入ることを選択しなかったからです。

 By giving power to nothing, he throws away the joyous opportunity to learn that nothing has no power.
 無に力を与えることによって、彼は無には何の力もないと学ぶ喜ばしい機会を投げ捨ててしまうわけです。

 And by not dispelling darkness, he became afraid of darkness and of light.
 そして、闇を追い払わないでいるために、彼は闇にも光にも恐れを抱くようになってしまったのです。

 The joy of learning that darkness has no power over the Son of God is the happy lesson the Holy Spirit teaches, and would have you teach with him.
 闇には神の子に及ぼす力など何もないと学ぶ喜びこそ、聖霊が教え、聖霊があなたにも聖霊とともに教えてもらいたいと思っている喜びに満ちたレッスンです。

 It is his joy to teach it, as it will be yours.
 そのレッスンを教えることは聖霊の喜びであり、それはあなたの喜びにもなるでしょう。

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7. The way to teach this simple lesson is merely this:
 この闇には神の子に及ぼす力など何もないというレッスンを教える方法は、ただ単に次のことを教えるだけです。

 Guiltlessness is invulnerability.
 それは、無罪であることは、傷つきようのない不死性と同義だということです。

 Therefore, make your invulnerability manifest to everyone.
 したがって、あなたが傷つくことがないことを、みんなにはっきりと示してください。

 Teach him that, whatever he may try to do to you, your perfect freedom from the belief that you can be harmed shows him that he is guiltless.
 みんなに次のように教えてください。すなわち、たとえ兄弟があなたに何をしようとしたところで、あなたが自分が傷つきうると信じることから完璧に免れた境地にあることによって、その兄弟に彼は罪を犯してはおらず無罪なのだと示すのです。

 He can do nothing that can hurt you, and by refusing to allow him to think he can, you teach him that the Atonement, which you have accepted for yourself, is also his.
 彼には、あなたを傷つけうるようなことは何もできません。そして、彼があなたを傷つけることができると思うことを断固として容認しないことによって、あなたは自分が受け入れた贖罪が彼のものでもあると彼に教えることになります。

 There is nothing to forgive.
 許すべきことなど、何ひとつありません。

 No one can hurt the Son of God.
 神の子を傷つけることなど誰にもできないからです。

 His guilt is wholly without cause, and being without cause, cannot exist.
 神の子が抱く罪悪感にはまったく原因が欠如しており、原因がないがゆえに、罪悪感は存在しえないのです。



8. God is the only Cause, and guilt is not of him.
 神だけが唯一の大いなる原因であり、罪悪感は神に由来する結果ではありません。

 Teach no one he has hurt you, for if you do, you teach yourself that what is not of God has power over you.
 誰にも、その人があなたを傷つけたことを思い知らせようとなどしてはなりません。なぜなら、もしあなたがそんなことをすれば、あなたは神に由来しないものが自分に影響を及ぼす力を持っていると自分自身に教えることになってしまうからです。

 The causeless cannot be.
 原因のないものは存在できません。

 Do not attest to it, and do not foster belief in it in any mind.
 原因のないものが存在すると証明しようとしたり、原因のないものが存在すると誰かが心の中で信じるのを後押しするようなことをしてはなりません。

 Remember always that mind is one, and cause is one.
 心はひとつであること、そして原因もひとつであることをつねに忘れないでください。

 You will learn communication with this oneness only when you learn to deny the causeless, and accept the Cause of God as yours.
 あなたが原因のないものを拒絶することを学び、神という大いなる原因を自らの原因として受け入れるときにのみ、あなたはこの一なる存在とのコミュニケーションを学ぶでしょう。

 The power that God has given to his Son is his, and nothing else can his Son see or choose to look upon without imposing on himself the penalty of guilt, in place of all the happy teaching the Holy Spirit would gladly offer him.
 神がわが子に授けた力は神の子のものです。そして、聖霊が喜んで彼に差し出してくれるすべての喜ばしい教えの代わりに、神から授けられた力以外のものを目にしたり、目を向けることを選ぶなら、神の子は、罪悪感という罰を自分自身に科することになってしまいます。

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9. Whenever you choose to make decisions for yourself you are thinking destructively, and the decision will be wrong.
 あなたが自分だけで物事を決める選択をするときはいつでも、あなたは破壊的に考えているので、その決断は誤ったものとなるでしょう。

 It will hurt you because of the concept of decision that led to it.
 自分で決めたことが誤りへと帰結したと考えるせいで、この決断は、あなたを傷つけてしまいます。

 It is not true that you can make decisions by yourself or for yourself alone.
 しかし、あなたが自分だけで決断したり、自分自身だけのために決断したりできるというのは真実ではありません。

 No thought of God's Son can be separate or isolated in its effects.
 どんな思いであれ、神の子の抱く思いが、何の結果も影響も及ぼすこともなく、分離して隔絶したままであるなどありえないからです。

 Every decision is made for the whole Sonship, directed in and out, and influencing a constellation larger than anything you ever dreamed of.
 どの決断も神の子全体のために、その内側にも外側にも向けて下されるので、あなたがこれまで夢見たことがあるどんなものよりも広大な、星雲のような範囲にまで影響を及ぼすことになります。



10. Those who accept the Atonement are invulnerable.
 贖罪を受け入れる者は、決して傷つくことがありません。

 But those who believe they are guilty will respond to guilt, because they think it is salvation, and will not refuse to see it and side with it.
 ところが、自分には罪があると信ずる者は罪の意識に反応してしまいます。なぜなら、彼らは罪の意識を抱いてこそ救われると思っているので、彼らは罪を見ることを拒絶するどころか、罪を意識することを肯定して支持するようになってしまうからです。

 And they will fail to understand the simple fact that what they do not want must hurt them.
 だから、自分の望まないものは自分を傷つけずにはおかないという単純な事実すら、彼らは理解し損ねてしまいます。

 All this arises because they do not believe that what they want is good.
 こうしたことのすべては、自らが望むものが良いものだと彼らが信じていないために起こります。

 Yet will was given them because it is holy, and will bring to them all that they need, coming as naturally as peace that knows no limits.
 しかし、意志というものが彼らに与えられたのは、それが神聖なものであり、いかなる限界も知らない平安のように自然に訪れて、彼らが必要とするものすべてをもたらしてくれるからです。

 There is nothing their will fails to provide that offers them anything of value.
 少しでも価値を彼らにもたらすものであるかぎり、彼らの意志に提供できないものなど何もありません。

 Yet because they do not understand their will, the Holy Spirit quietly understands it for them, and gives them what they want without effort, strain, or the impossible burden of deciding what they want and need alone.
 しかし、彼らは自分の意志を理解していないので、聖霊が彼らに代わって冷静に彼らの意志を理解してくれます。そして、聖霊は、彼らに努力や緊張や自分が何を欲し何が必要なのか自分ひとりで決断するという手に負えない重荷を背負わせることなしに、彼らに望みのものを与えてくれます。

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11. It will never happen that you must make decisions for yourself.
 あなたが自分だけで決断を下さなければならないような事態は絶対に起こりません。

 You are not bereft of help, and help that knows the answer.
 あなたには助け主がついており、その助け主である聖霊は答えを知っているからです。

 Would you be content with little, which is all that you alone can offer yourself, when he who gives you everything will simply offer it to you?
 あなたにあらゆるものを与えてくれる聖霊がそのすべてをただあなたに差し延べてくれているというのに、あなたは自分ひとりでせいぜい手に入れられる程度のつまらないものに甘んじようというのでしょうか。

 He will never ask what you have done to make you worthy of the gift of God.
 聖霊は決して、神の贈り物を授かるにふさわしい者となるためにあなたは何を成し遂げたのかと尋ねたりしません。

 Ask it not therefore of yourself.
 だから、あなたも自分自身にそんなことを問うてはなりません。

 Instead, accept his answer, for he knows that you are worthy of everything God wills for you.
 その代わりに、聖霊の答えを受け入れてください。なぜなら、聖霊は、神があなたのために意図するすべてを受け取るにあなたはふさわしいと知っているからです。

 Do not try to escape the gift of God he so freely and so gladly offers you.
 聖霊がこんなにも惜しみなく喜んであなたに差し出してくれている神からの贈り物を拒もうとしないでください。

 He offers you but what God gave him for you.
 聖霊があなたに差し延べているのは、あなたのために神から託されたものだけです。

 You need not decide whether or not you are deserving of it.
 あなたは、自分が神からの贈り物にふさわしいかどうか決める必要はありません。

 God knows you are.
 神があなたはふさわしいと知っているからです。



12. Would you deny the truth of God's decision, and place your pitiful appraisal of yourself in place of his calm and unswerving value of his Son?
 あなたは、神の決断の正しさを否認して、神の子に対する神の冷静で揺るぎない評価の代わりに、あなたのお粗末な自己評価で置き換えようというのでしょうか。

 Nothing can shake God's conviction of the perfect purity of everything that he created, for it is wholly pure.
 何ものも、神が創造したあらゆるものが完全に清らかであるという神の確信を揺るがすことはできません。なぜなら、神が創造したものはすべて、たしかにまったく清らかなものだからです。

 Do not decide against it, for being of him it must be true.
 神の確信に背く決断をしてはなりません。なぜなら、その確信は神に由来するがゆえに真実に違いないからです。

 Peace abides in every mind that quietly accepts the plan God set for its Atonement, relinquishing its own.
 自分独自の贖罪の計画を手放して、自らの贖罪のために神が定めてくれた計画を静かに受け入れるなら、どんな心にも、平安が宿ります。

 You know not of salvation, for you do not understand it.
 あなたは救済のことを知りません。それは、あなたが救済を理解していないからです。

 Make no decisions about what it is or where it lies, but ask the Holy Spirit everything, and leave all decisions to his gentle counsel.
 救済とは何であるのかとか、救済はどこに見出せるのかということを自分で決めようとなどせずに、ただ聖霊にすべてを尋ねて、聖霊の優しい助言にすべての決断を従わせるようにしてください。

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13. The One Who knows the plan of God that God would have you follow can teach you what it is.
 神があなたに従わせようとする神の計画を知る大いなる存在は、神の計画がどのようなものなのか、あなたに教えることができます。

 Only his wisdom is capable of guiding you to follow it.
 ただその聖霊の英知だけが、神の計画に従うようにあなたを導くことができます。

 Every decision you undertake alone but signifies that you would define what salvation is, and what you would be saved from.
 あなたが自分ひとりで下そうとする決断はすべて、救済とは何なのか、自分が何から救われるべきかを、あなたが自分勝手に定義しようとしていることを示すだけです。

 The Holy Spirit knows that all salvation is escape from guilt.
 聖霊は、ただ罪悪感から逃れることだけが救済なのだと知っています。

 You have no other "enemy," and against this strange distortion of the purity of the Son of God the Holy Spirit is your only Friend.
 あなたには、罪悪感以外に「敵」はありません。そして、この罪悪感による神の子の清らかさの異常な歪曲に対抗するうえで唯一あなたの味方になれるのは聖霊だけです。

 He is the strong protector of the innocence that sets you free.
 聖霊は、あなたを自由にする潔白さの強力な守護者です。

 And it is his decision to undo everything that would obscure your innocence from your unclouded mind.
 そして、あなたの曇りなき心から、あなたの潔白さを覆い隠そうとするあらゆるものを取り消すのは、聖霊の決断なのです。



14. Let him, therefore, be the only guide that you would follow to salvation.
 だから、聖霊をあなたが救済へと導いてもらう唯一の案内役としてください。

 He knows the way, and leads you gladly on it.
 聖霊は救いへの道を知っているので、喜んであなたを導いてその道を案内してくれます。

 With him you will not fail to learn that what God wills for you is your will.
 聖霊と一緒なら、神があなたのために意図することこそが自分の意志なのだとあなたが学び損ねることはないでしょう。

 Without his guidance you will think you know alone, and will decide against your peace as surely as you decided that salvation lay in you alone.
 聖霊の導きがなければ、あなたは自分だけが道を知っていると思うようになるでしょう。そうなると、あなたがかつて救いは自分の中だけにあるものと決めつけていたのと同じくらい確実に、あなたは自分の平安に反する決断をしてしまうでしょう。

 Salvation is of him to Whom God gave it for you.
 救済は、あなたのために神から救済を託された聖霊から訪れます。

 He has not forgotten it.
 聖霊はそのことを忘れてはいません。

 Forget him not and he will make every decision for you, for your salvation and the peace of God in you.
 あなたも聖霊を忘れないでください。そうすれば、あなたの救いとあなたの中の神の平安のために、聖霊があなたに代わってすべての決断をしてくれるでしょう。

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15. Seek not to appraise the worth of God's Son whom he created holy, for to do so is to evaluate his Father and judge against him.
 神が聖なるものとして創造した神の子を値踏みしようとしてはなりません。というのは、子の価値を評価することは、子の父である神の是非を評価して、神に対して裁きを下そうとすることだからです。

 And you will feel guilty for this imagined crime, which no one in this world or Heaven could possibly commit.
 そんなことをすれば、あなたは、こんな想像上の罪を犯したことについて罪悪感を抱いてしまうでしょう。もっとも、こんな罪は、この世界であれ天国であれ、誰がどのようにしたところで犯すことは不可能です。

 The Holy Spirit teaches only that the "sin" of self-replacement on the throne of God is not a source of guilt.
 聖霊はただ、神に成り代わって自らを神の玉座に据えようとする「罪」は罪悪感の源にはならないとだけ教えてくれます。

 What cannot happen can have no effects to fear.
 起こりようもないことが、恐れるべき結果を持てるはずがないからです。

 Be quiet in your faith in him who loves you, and would lead you out of insanity.
 あなたを愛し、あなたを狂気から導き出してくれる聖霊を信頼して、気を静めなさい。

 Madness may be your choice, but not your reality.
 あなたは狂気の沙汰を選んでいるかもしれませんが、本当のあなたは狂ってはいません。

 Never forget the Love of God, Who has remembered you.
 ずっとあなたのことを覚えてくれている神の大いなる愛を、決して忘れないでください。

 For it is quite impossible that he could ever let his Son drop from the loving Mind wherein he was created, and where his abode was fixed in perfect peace forever.
 というのは、その中で神の子が創造され、そこに神の子が完璧な平安のうちに永遠に住み続けることが定められた愛に満ちた大いなる心から、神がわが子を落伍させることなど、まったくありえないことだからです。



16. Say to the Holy Spirit only, "Decide for me," and it is done.
 聖霊に、ただ「私に代わって決めてください」とだけ言いなさい。そうすれば、その通りになります。

 For his decisions are reflections of what God knows about you, and in this light, error of any kind becomes impossible.
 なぜなら、聖霊の決断は神があなたについて知っていることの反映であり、この知識の光に照らせば、どんな種類であれ誤ることは不可能になるからです。

 Why would you struggle so frantically to anticipate all you cannot know, when all knowledge lies behind every decision the Holy Spirit makes for you?
 聖霊があなたに代わって下すすべての決断は全知に基づいているというのに、あなたはなぜそんなにも死にもの狂いになって自分には知る由もないことについて取り越し苦労するために足掻こうとするのでしょうか。

 Learn of his wisdom and his love, and teach his answer to everyone who struggles in the dark.
 聖霊の英知と愛から学び、闇の中でもがき苦しんでいるすべての者たちに聖霊の答えを教えてあげなさい。

 For you decide for them and for yourself.
 なぜなら、あなたは彼らに代わって、そして、自分自身のために決断することになるからです。

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17. How gracious it is to decide all things through him whose equal love is given equally to all alike!
 等しい愛をみんなに同じように平等に与えてくれる聖霊を通してすべてのことを決断することは、なんと恵み深いことなのでしょう。

 He leaves you no one outside you.
 聖霊は、あなたの外側に誰ひとり残すようなことはしません。

 And so he gives you what is yours, because your Father would have you share it with him.
 つまり、聖霊は、あなたのものである万物をあなたに与えてくれるのです。なぜなら、あなたの大いなる父が意図したのは、あなたに万物を聖霊と共有させることだったからです。

 In everything be led by him, and do not reconsider.
 何事をなすに際しても聖霊に導いてもらいなさい。そして、ひとたび聖霊の導きに従ったなら、考え直してはなりません。

 Trust him to answer quickly, surely, and with Love for everyone who will be touched in any way by the decision.
 その決断によって何らかの影響を受けることになるすべての人たちのために、聖霊は迅速かつ確実に、そして、大いなる愛をもって答えてくれると信頼しなさい。

 And everyone will be.
 本当に、すべての人たちが、その決断によって影響を受けるでしょう。

 Would you take unto yourself the sole responsibility for deciding what can bring only good to everyone?
 あなたは、何がすべての人たちにとって善のみをもたらしうるのか決断する責任を一手に引き受けて自分ひとりで背負いこもうというのでしょうか。

 Would you know this?
 あなたは、万人にとっての唯一の善が何なのか自分は知っているとでもいうつもりでしょうか。



18. You taught yourself the most unnatural habit of not communicating with your Creator.
 自らの大いなる創造主とコミュニケーションをとらずにいるという最も不自然な習慣をあなたは自分自身に教えこんでしまいました。

 Yet you remain in close communication with him, and with everything that is within him, as it is within yourself.
 それでも、あなたは依然として神と密接なコミュニケーションを保っているし、万物はあなた自身の中にあるがゆえに、創造主の中にある万物とも密接なコミュニケーションを維持しています。

 Unlearn isolation through his loving guidance, and learn of all the happy communication that you have thrown away but could not lose.
 聖霊の愛に満ちた導きを通して、孤立することを忘れ去ってください。そして、あなたが投げ捨てはしたものの失うことのできなかった幸せなコミュニケーションのすべてを学んでください。



19. Whenever you are in doubt what you should do, think of his presence in you, and tell yourself this, and only this:
 自分が何をなすべきか迷うたびに、自分の中に聖霊がいることを思い出して、次のことを、そして、ただこれだけを自分に言い聞かせてください。


He leads me and knows the way, which I know not.
聖霊は私を導いてくれていて道を知っているが、その道を私は知らない。

Yet he will never keep from me what he would have me learn.
しかし、聖霊が私に学ばせようとしていることを、聖霊が私から遠ざけておくようなことは絶対にないはずだ。

And so I trust him to communicate to me all that he knows for me.
だから、私は、私のために聖霊が知っていることのすべてを聖霊が私に伝えてくれると信頼する。


 Then let him teach you quietly how to perceive your guiltlessness, which is already there.
 そのあとで、すでに存在している自分の無罪性を知覚するにはどのようにしたらよいか聖霊に優しく教えてもらうがよいでしょう。


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